花をきれいだと思う気持ちが美しいのだ・・・2013/05/28

【言葉の深層】 花をきれいだと思う気持ちが美しいのだ・・・

「花を美しいと思う気持ちが美しい・・」そんな意味の言葉が歌になったりする。

花は美しくあるために咲いている訳ではない。自身が生きるため、さらに根本的には物質の集合体である生物の反応過程だ。

「花を美しいと思う気持ちが美しい・・」と言う事は、花に美醜はないが、観察者である人間が美を押しつけていると言う事だ。それが美しいと言っているのだから、美は人間の自己陶酔に過ぎない。

美とは恐ろしいものである。脳が肥大化してしまった人類だけが罹患している病かも知れない。ソメイヨシノに群がり、派手な花を育種して写真に撮り違いにほめ合う。

猫や犬を奇形の領域まで育種して、人間の仕草に近い姿をさせて写真にとって「かわいい」とか言い合い話題にする。美と言う病をもつ人間は、不自然な事や自然改変をしていかなければ、自身の精神を安定させる事ができないのだろう。

美と言う病から抜け出るには、「知る」方向に精神を向かわせるしかない。より客観的に知ろうとすれば、美は少しずつ後退していく。美の視点から外れるような目立たない植物の存在と意義に平等に気づいていく。そして、美がどれほど生きもの達を阻害して、生きる環境を損なっているか気づくだろう。

花を美しいと思う気持ちが恐ろしい・・・・これが言葉の深層だろう。

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