【対の諺】 明鏡止水 鑢濁流2015/06/25

【対の諺】 明鏡止水 鑢濁流
 
(正)   明鏡止水
(意味)  曇りのない鏡と動かず平らな水。一切の邪念を断ち切って妄念のない清らかな心。悟りの境地。
(反) 鑢濁流
 
(意味) 鑢(やすり)と濁って激しく流れる水。鑢は自らは凹凸だが、他を磨いて平らかにする。濁流は自らは濁って止まらないが、大地を削り、下流に恵みをいつかもたらす。
 
(正)の言葉に対して、聖人君子・悟りの人は自ら閉じて安息しているが世の中には何の役にも立てない。それよりも、自らはとけとげしくても、また汚れていても、他を削り、磨き、清らかにするとのが道であるとの例え。
 
老荘思想や南伝仏教に対する北伝仏教の立場を示している。個人の悟りや完成を究極とするのに対して、悟ったものは、そこから返して汚濁の衆生のために、自ら汚れとなっても救いの道を歩む「菩薩業」が仏の本道との立場。

【今日の言葉】 大学いったって・・2015/05/20

【今日の言葉】 大学いったって・・

小学校に通っても、長い人生の中で学べる量は少し。
 でも、図鑑を見る方法と習慣を身につけられる。


高校行ったって、そんなに多くを経験できるわけではない。
 でも、分からない時に友達と議論する方法を覚えられる。


大学行ったって、そんなに多くを学べるわけではない。
 ただ、学術雑誌を調べる方法と読み方を身につけられる。


【蛇足】 長い人生で必要な知識は膨大で、学校で学べるのはほんの少しです。学校の勉強でたりるわけでなく、学校での知識しか使えないとしたら、むしろ狭隘さという弊害になるかも。

小学校の図書館にある図鑑とか事典って凄い知識量があって、必要な時にしらべられば、博識の先生と同じだ。

高校で、グループ活動とか調査活動とか友達とすれば、分からないことや、困難に誰かと協力して立ち向かう方法が身につけられる。それだけでも、一生仕事するのに不便はないかも。

大学で、論文もどきを書かされて、引用文献なんて真似事を一度しておけば、知識の源泉がテレビや新聞だけでなく、図書館の奥にしまわれていることがわかる。それだけで、世界を改革する知識を探しだせる。

あれ・・中学はないの・・・と・・・中学は、悪いことして勉強おやすみする時期です。知識なんてもの以外の世界があることを学ぶためにね・・・。


そうすると、仲間がいて、図書館があれば、学校いかなくて平気なのかも・・・

            も/あ

【今日の指針】 限る ことが創造のもと2015/05/20

【今日の指針】 限る ことが創造のもと

 限ること、禁ずる事が創造の枠組みとなる。


(蛇足) 自由にやって良い・・と言うのは、教育としては案外と成果が少ない。なんでもありは、あまり独創的な芸術を生まない。

石の彫刻家は削るだけという限定があるから、彫刻の世界を広げられる。途中で急に絵の具で目を描いたり、布を着せたりしたら、なんだか不明のがらくたが出来るだけ。

芸術のジャンルってのは、ある意味で「限定」であって、枠組の中で創造空間を広げていくものだ。

最近は「コラボ」とか言って、枠組み外そうとしたり、まぜこぜをしたりするのが流行っているけど、石を掘るのが難しい所だけ絵の具で目をかくような安易なのも少なくない。

限定された創造空間を使い尽くして、極まったアーティストだけが、高次の限定空間にいける筈。初心者には「こらぼ」は出来ない。

子ども達のための木のクラフト教室とかやっているけど、自然の木をくみあわせるだけで描いたり彫ったりしない。その限定でかえって、面白いものをつくりだしてくれる。

うちの木工は自然の木を形を残して、接着剤とか釘とかネジは使わないという限定をしている。苦労するけど、奇妙な発明にはつながる。

【今朝の言葉】 朝一番の時間2015/05/20

【今朝の言葉】 朝一番の時間

 朝一番の好調な時間を何に使うかで人生が決まる。

(蛇足) 朝一番、起きて少したった時間帯は体調万全、脳の働きもしっかりしてます。この時間を何に使うか。

画業に励めば、良い絵描きになるし、文筆に励めば文学者になれるかもしれません。家業に励めば、一家安泰、悪事を企てる時間にすれば一流の極悪人にななれるでしょう。

まあ、朝は ぼやーっとしていると言う人。朝一番というか、自分の一番調子の良い時間を何に使うかで人生が決まると言うことです。疲れた状態でやっても趣味の範囲を出られない。

朝一番、お掃除洗濯が楽しい・・ってのも、一流の家事ができるし、朝は草刈り・・なら、作物豊穣。

「朝一番が調子が良いんだけど、通勤電車にすしづめ一時間、スマホだけ。」なんて人は、まあ給料はきちんと頂けるのでしょう。

お前は、何しているか・・って。いろいろ、毎日変わります。こんなの書いているのは大抵朝です。

【今日のおはなし】 君がいるから大丈夫2014/07/05

【今日のおはなし】 君がいるから大丈夫

暗い気分が広がっていく世の中でした。貧しい若者が増えて、野原が荒れて、自殺する人が増えて、人々が互いに非難しあい、戦争がおきそうでした。

若者がいました。外国の友達も多い土地に住んでいて、とても不安になりました。あるとき、野原で草刈りをしているおじいさんに会いました。気さくな感じに安心して、「おじいさん、なんか平気かなあ。」とたずねてみました。おじいさんは言いました。

 ああ、何も心配する事ない・・。これだけ覚えて、みんなに言えば良い。「俺がいるから大丈夫。お前がいるから大丈夫。」そして、そのために仕事すればいい。人だけでなく生き物にも言うんだ。

若者は、納得できない様子でしたが、とにかく会った人にそういってみました。「僕がいるから大丈夫。あなたがいるから大丈夫。」そうして、いつもの仕事を続けました。

怪訝な顔で聞いた人も、やがて同じ言葉を他の人に伝えるようになりました。少しずつ、少しずつ、遠い国の人まで広がりました。「私がいるから大丈夫。あなたがいるから私も大丈夫。」

何十年もたちました。戦いはおきませんでした。貧しさも減り、少しずつみんなが穏やかになり、野原も生き物が増えていきました。

若者は、おじさんになり、「俺かいるから大丈夫。」と時々つぶやきながら畑で仕事してます。遠い国の空から、土の中から「私がいるから大丈夫・・。」って声が聞こえてくる気がするのです。

おむすび と おにぎり の違い2014/01/27

おむすび おにぎり
おにぎり と おむすび の違いは何か。故事来歴は別にして、文字通り作ってみたらどうなるか・・・・

お握り・・・握るのは簡単にできた。 お結び・・・結ぶのはなかなか困難だった。出回っているのは お握り なのだ。

【知識単位学】 考察域 参照域・・思考の大きさ2014/01/23

知識単位学】 考察域 参照域・・思考の大きさ

 人について「器が大きい」とか「視野が広い」とかの評価があります。大きな人物、小さな人物と言うものはあるものです。個々人のもつこの「大きさ」をより緻密にある程度定量化できないか試みるのも知識単位学の目指す事のひとつです。

ある行動を決定しようとする時に、その影響がどこまでおよぶか考察するものです。その考察の範囲を「考察域」とよんでみます。ゴミを捨てると言う行為は、外部に影響を与えますが、その時に自己の身体周辺のみの考察だけで決定するのは乳児期の子供です。周辺家族の中での影響、家庭、町内、市内への影響と、成長するに従い、考察域は大きくなり、環境について学べば、自分のゴミを捨てる行為と太平洋への影響との関係について考察できるようになります。

考察域は、地理的広がりだけでなく、時間的広がりの座標も持ちます。明日の事を考えられない時があれば、時間的考察域が小さい事になります。百年の計、千年の物語を考えるとなれば、より考察域が広がります。

考察域が広いばかりでは、夢想家あるいは大風呂敷と評されるようで、行動や改良に結びつかない場合もあります。それは別の考察の緻密さ・・「考察濃度」とでも言えうる別の指標が必用かもしれません。それをも考え合わせた、考察の範囲と行動の精密さを総合した力が「人の大きさ」と言われる知識単位になるのかも知れません。よく言われる「大胆にして緻密」のような人物像です。

考察域は、個人の思考だけでなく、組織集団や学問分野についても想定できます。「港湾工学や河川工学の考察域は、生態学の考察域よりは狭い・・・」そんな言い方で学問そのものを評価する事もできます。同様に、行政組織や企業についても「国際企業などは短期での会計単位、利潤への考察範囲が狭いので、伝統小企業の長期利潤単位にくらべて考察範囲が狭く持続可能性か少ない・・」といった分析手法につながります。

考察範囲は情報収集能力や意見集約能力などの下位の知識単位に分析する事が可能です。一点に様々な情報を集約する能力なので、情報を集積して分析して統合する複雑な過程がふくまれます。

政治家や経営者などのを考察域から評価する事も有益です。人の大器の程度、考えの広さを測る指標なのですが、印象だけで評価するのではなく、的確な指標がないかと地域単位学では考えます。

考察域に似た指標として、参照域、引用域、知識統合域などの「域」を設定する事もできます。

よりよい決定は、より広く情報をあつめ、より深く影響を考える事によりなされますので、考察域の広い個人をつくる教育、考察域を組織としていかに広くできるかなどが実践課題となります。

【今日の言葉】 いったん、下手になるものさ・・・2014/01/22

【今日の言葉】 いったん、下手になるものさ・・・

 いったん、下手になるものさ・・・進歩の証なんだよ・・。

(蛇足)

 楽器の練習なんかしていると、一度完璧に出来た事が、いったん失敗ばかりするようになる事があります。こらえて、練習続けると、今度は本当に間違えなくなります。他の分野でも同じです。知恵熱とでも言うのでしょうか。進歩の途中で必ず後退があるものです。

 いろいろ理由は考えられるけど、下手になるのはさらに新しい事を学んだあとに後退がある事があります。四拍子の練習して完璧になった後に、三拍子とか習うと、脳がそれとの比較で混乱するのです。慣れた頭に新規の学者が混乱を与えるのです。

そこで、より大きな「大きな事の中で、今はこうなんだ」との脳の回路がつくられて、古いものも新しいものも習得して、必用に応じて切り替えができるようになるのです。

歳をとって、記憶が衰えるように見えるのは脳神経の減少もありますが、それと共に知識が増えたので、その中から選び出す力がより必用になるからだとも言えます。

その他、心に「疑い」が生じる事も一度下手になる理由のひとつです。疑いは、より深い理解への必需品ですので、下手になった時に、よくよく初めに戻り再度見直す事も先に進む重要な手段です。

ここらの、発達心理学、発達教育学・・個人の学習にも、社会集団単位の意識発達にも心得ておくべき事なのでしょう。

下手になった時に、やめる事が多いのでしょうが、先に進んでいる証として歓迎すべき事なのでしょう。