【今日のおはなし】 君がいるから大丈夫2014/07/05

【今日のおはなし】 君がいるから大丈夫

暗い気分が広がっていく世の中でした。貧しい若者が増えて、野原が荒れて、自殺する人が増えて、人々が互いに非難しあい、戦争がおきそうでした。

若者がいました。外国の友達も多い土地に住んでいて、とても不安になりました。あるとき、野原で草刈りをしているおじいさんに会いました。気さくな感じに安心して、「おじいさん、なんか平気かなあ。」とたずねてみました。おじいさんは言いました。

 ああ、何も心配する事ない・・。これだけ覚えて、みんなに言えば良い。「俺がいるから大丈夫。お前がいるから大丈夫。」そして、そのために仕事すればいい。人だけでなく生き物にも言うんだ。

若者は、納得できない様子でしたが、とにかく会った人にそういってみました。「僕がいるから大丈夫。あなたがいるから大丈夫。」そうして、いつもの仕事を続けました。

怪訝な顔で聞いた人も、やがて同じ言葉を他の人に伝えるようになりました。少しずつ、少しずつ、遠い国の人まで広がりました。「私がいるから大丈夫。あなたがいるから私も大丈夫。」

何十年もたちました。戦いはおきませんでした。貧しさも減り、少しずつみんなが穏やかになり、野原も生き物が増えていきました。

若者は、おじさんになり、「俺かいるから大丈夫。」と時々つぶやきながら畑で仕事してます。遠い国の空から、土の中から「私がいるから大丈夫・・。」って声が聞こえてくる気がするのです。

短編SF 残暑見舞い2012/08/28

短編SF

 残暑見舞い・・

「残暑見舞い・・・暑い日々ですが・・秋の気配が感じられる・」

 と葉書に書きつつ、外を見た。秋の気配が本当にあるのか・・挨拶と言え、嘘書く訳にはいかんし・・・」

そう思い三太郎は窓から木立を見た。確かにツクツクボウシも鳴いてはいるが、ニイニイゼミや、クマゼミも相変わらず鳴き続けている。なんかおかしい・・・蝉たちが季節を忘れてしまったか。

そのまま、9月も半ばになった。気温は30度から下らず、蝉も鳴き続けた。不思議なのは、それらに混じってホトトギスやらカッコーやらが遠くから聞こえてくる。

「季節崩壊・・・」そんな言葉が思い浮かんだ。悪夢なのか・・・しかし、部屋はしっかり空調が効いて快適である。悪夢なら覚める事もあるだろう。そう思い三太郎は、快適な寝室でぐっすり眠った。

次の日、目覚めると、外は雪景色だった。夏の青葉のままの木々は雪に埋もれている。雪の上に蝉達がばらばらと落ちて死んでいる。カエデは色づく事なく、凍り付いている。

三太郎は、狂ったように外に飛び出そうとした。この奇妙な景色や季節の原因を知りたかったのだ。でも、居住空間からは自動ドアが閉まって出られない。三太郎は、骨董品の鉄アレイを窓にぶつけてたたき割った。そして外に出た。

・・・そこは、乾燥した石ころばかりの荒野だった。奇妙に風が吹き、風力の羽やら地熱発電やら、広大なバイオ発酵のエネルギー工場が広がっていた。後ろを見た。自分が快適に暮らしていた居住地は、巨大なスクリーンに取り囲まれたドーナツ状の巨大装置だった。ここに、すべての人類は閉じ込められ、青空も季節の移り変わりも季節もバーチャルとして人々に示される。もう本物の生き物に触れた事のない世代が増えたから、多少いい加減な自然でも見破る者は、もういなかった。

「おい、4s8ie 区域の 旧人類系のやつが、外に飛び出してしまったぞ。」

居住空間コントロールセンターの係員が言った。

「ありゃ、また古い季節感を残余しているやつが、なんか気づいて、飛び出したか・・・」

同僚の係員は

「゛ありゃ、いけない。季節コントロールプログラム、一カ所間違えた・・。これじゃ、春と夏のいきものが、混ざったしまう。」

「どうする、飛び出したやつ。」

「ほっとけ、もうすぐ、強風が吹くから、飛ばされて死ぬしかないよ。」


22世紀になって、地球は「居住空間」と呼ばれる人類か済む閉鎖空間と、外の環境に完全に分離されていた。環境負荷を遙かに超える人口を養うには、風力、太陽光、水力、地熱・・・バイオ・・あらゆる「自然エネルギー」が繰り出された。地球温暖化・・というより乱流拡大現象は、21世紀の半ばに、海水中からの莫大な二酸化炭素が放出により、破局的に働き、竹の類とフナクイムシの突然変異体を残して生存できなくなった。

人類は、エネルギーさえあれば、生き延びられる持続可能な閉鎖系を頑丈に作り上げた。宇宙船地球号として、それは地球から浮かんだ形でへばりついていた。人々の暮らしは、そのまま、いや、バーチャル化、情報化を高度に進めて、季節も、すべての生き物も遺伝情報として精細に記録して残した。

文化遺産もあらゆる古文書も、スキャンして記録装置に保存された。破局に至る直前の地球上のあるゆる動植物から土壌・海水中まで巨大スキャナーで記録され、「自然遺産」としてデジタルに保存された。そのデジタル情報を人々は操作して、季節を味わい、歴史発見をして、自然と親しむ活動をした。微細な所では、情報は不完全だったが、それを感じ取る自然感覚をもつ者は少数だった。それを残余したやつが、時々、居住空間から飛び出して、自殺状態で淘汰されていった。

カレンダーを見て、残暑見舞いを出す。・・・そんな慣習でしか、人々は季節を味わう事はできない。鋭敏な季節感覚などもてば、飛び出して抹殺されるしかない、この時代の地球なのだ。

今日の詩「三色の春の」2012/03/30

三色の春の丘の声


  丘は三色に染まり、春
  レンギョウ、 緋の桃 、豆桜
  柔和な土の香、里の丘
 
  あなたが笑顔で
  手を振るしぐさ
  まっすぐ私をみつめる眼
 
  花によろび
  花とあそぶあなた
  何もかも今ここにとどまる
 
  こんな近くに丘があり
  こんな近くに花があり
  こんな近くにあなたがいる
 
  幸せ満ちる一度の春
  ふたたび戻らぬ輝きよ
  永遠に花咲く里の丘


    丘をおとづれる恋人達よ
    毎春、われらは美をくりかえす
    あたた達は美に向かい、通り過ぎる
 
  いちどの春を過ぎゆく存在を
  春を繰り返す存在がよびかける
  むせる三色の春のいのち
 
  花は、乙女に言葉を贈る
  毎春ごとに美を得る幸せと
  遠くへ消えぬ寂しさ語り
 
  こんな近くに丘があり
  こんな近くにあなたがいて
  こんな近くに春がとどまる
 
  丘は知る 花は知る
  愛し合うもの達が
  いつか風に、分かれていくことを
 
  だから、消えゆくものへの
  思いを光ににつつみ
  丘は花を風にゆらす
 
  丘を発ち、わきたつ夏にむかい
  異なる街と空を求めて
  旅に出るふたり
 
  強い嵐が二人を引き離し
  春の輝きはもう遠く
  ふたりに、花の言葉は聞こえない
 
   大きな声で呼び合い
   過ぎゆく命の実りを得たら
   旅の末にもう一度訪れなさい
 
   こんな近くに丘があり
   三色の春に輝きがあったことを
   私たちが忘れない

 こんな近くに花があり
 こんな近くに涙して
 こんな遠くに愛があり

      切断面の響き 「水滴集」より



【読み】  香(か) 三色(みいろ) 永遠 (とわ) 
       毎春(まいはる)

【解説 1 】
 
 この詩は、三 という数を基底として構成されています。三色の花 「こんな近くに」と言うリフレインをもった部分。3拍をきざむ形は、日本語ではあまり多くありません。

四行詩が、どこか安定感を持つのに対し、三という繰り返し形式は、どこか遠くに進んでいく流れを生み出します。一時の春の花を通り過ぎ、分かれていく運命にある恋人達を語るのに選ばれた形式なのでしょうか。

 文頭が一文字下がって書かれいる節は、花の言葉です。詩は、花が恋人達にに語る形式をとってます。

レンギョウ、桃、豆桜 が揃って咲いているのは、関東では見慣れた風景です。そんな三色の花が、少し小高い丘の果樹畑を、たなびくように染めるます。身近で、のどかな風景です。

 花の中で、出会い、語り合い、そして見つめる故に分かれていく恋人達。その儚い存在に、花が永遠を語りかけると言う構成で作られています。

「こんな近くに」の部分は、定型詩としてリズムをもって読んでください。情景描写の部分などは、少し破格で語りのリズムで読んでくだい。いずれにしても、声に出して読む事を前提につくられている詩です。
 
【鑑賞 2 】

恋人達が春の花満開の丘を手を握りあい歩きます。それは喜ばしい風景であるとともに、あやうい儚さも感じさせます。

花は彼らを祝福して語りかけます。でも恋する者には、その声は聞こえません。乙女の視線は、まっすく愛する者に向かい、その近しさの喜びに満たされ、そして「こんな近くに・・」と言う言葉を、たたみ込むように繰り返させます。

 「忘れないでいる。」と言うのは、恋する者達どうし、良くささやかれる言葉ですが、その恋人達を、どこかでみつめる、花という存在がどこかにあると詩人は語っているのです。愛の成就には、花と語るやさしさと、永遠と語る強さが必要なのでしょう。

【鑑賞 2 】

 思い出します。春の野で、恋人と、歩いた事を。こんな近しい、こんな満たされているとの思いに溢れていました。そして故郷の春は輝いていました。でも、見つめすぎたのかもしれません。やがて、遠くに憧れ、視線がいつしかずれていきました。

今から思えば、花の声を聞くこともなく、その幸せを感謝することもありませんでした。花の声が聞こえないで、人を愛せる筈もないのに。

 いつしか、どこか私を包み、受け入れてくれる場所を探す旅に、人生が変わりました。沢山の人と出会い、また別れました。でも、あの春の輝きは見つかりません。

そして、春に故郷に戻り、ふと花咲く風景に会いました。花のもとに行ってみました。なにか、あの人にまた会える気がして。春の光が静かに、花に届いていました。けれど、そんな奇跡はあるはずもありません。

 でも、今はこうして、花の声が聞こえるようになりました。木々や、風や、春の光と言葉を交わせるようになりました。永遠に触れた気が少しだけします。今なら、きっと誰かを本当に愛する事が出来る気がします。

【鑑賞 3 】

 花が語ると言う思想はロマン主義の伝統です。花は永遠の象徴であると共に、消えゆく実存の象徴でもあります。永遠なる存在と、消えゆく存在の間での語りあいこそ愛の本質なのだと、この詩人は無意識に語っている気がします。

 人は、遠くへの憧れとともに、近しい愛を失う運命にあるのかも知れません。そして 、遠くへの旅の中で、自分を捜し、再び永遠なるものをみつけていくのでしょう。

そんな伝統的な象徴詩として、受け止めます。

【編集部より】

 初めて読まれる読者に解説させていただきます。「水滴集」は、ミクロコスモスの同人が合作でつくる「秀歌選」「アンソロジー」です。

作者は匿名で参加しますのて、作者を「ミクロコスモス作」として扱っています。俳句、短歌、詩、アフォリズム、きわめて短い小説までが選ばれています。

 同人達は、こんな風に、作品に対して、相互に解説や鑑賞と言う形で向き合います。そして、また、少しずつ修正されながら、より完成されたアンソロジーを作っていきます。

総意のモニュメント2011/02/18

創作短編

  総意のモニュメント 

 ある彫刻家が、町を象徴するモニメントを町長に頼まれました。それを見て、みんなが未来のまちづくりに夢を描けるようなモニュメントです。自分のアイデアで一気につくろうとも思ったのですが、みんなの総意で作れと言われたので、部分部分をみんなにも作ってもらう事にしました。

 ある人は魚の形。ある人はミカンの形。リンゴの形。梅の形。ある人は泳ぐ人の形。 ・・・・もう、まちの人数だけの形が出来て、全部つなぐと何の形だか分からない塊になってしまいました。そこで、ミカンも梨もリンゴも果物としてまとめる・・・梅も桜も花としてまとめる・・・そんな風に抽象化していく事にしました。それを繰り返したら、きっとみんなの「総意」になると思ったからです。

 骨格のモニュメントをつくり、みんなに示して、気に入らない所は削ってもらう事にしました。骨格モニュメントは、みんなが文句をつけて、腕がもがれ、枝が削られ、だんだん小さくなっていきました。

 不都合な所が削られつくして、しっかりした「総意」のモニュメントができました。除幕式で現れたのはなんと、町の名前が小さく刻まれたゆがんだ石でした。どこにでもある町の看板みたいです。

 それから数年が立ちました、駅前の看板が未来を切り拓くモニュメントである事は、今は誰も知りません。

編集長の蛇足

 どこかの町でおこった何か事件の寓意なんでしょうか。寓意と考えると、ミカンとか、魚とか、いろいろ解釈できそうですね。もう少し寓意の小道具になるミカンとか魚といった名詞を工夫すると良いですね。

おこじょのああさん2011/02/14

ミクロコスモス出版はウェブで作品を紹介する非営利出版社です。

ホームページで作品をお読みいただけますが、奥の方にかくれているので、作品にたどり着く方が少ないかも・・・

そんなわけで、ブログの方を使って時々、過去に発表された作品をご紹介します。

今回は「童話」。おこじょのああさんです。主人公は栗オコジョのああさん。日本にいるオコジョとは違い、空想の世界にしかいないオコジョのような生き物です。

とてもとても寒い物語です。雪の原、雪の山、凍てつく北の星空に飛び出して、宇宙の果てを旅して、遠い遠い世界で、いろいろな神様に会って来る長編童話です。

とりあえず、第一章だけでもお読みください。Pdf でお読みいただけます。

http://www.ne.jp/asahi/micro/cosmos/bn/mook/okj/okjdex.html

おこじょのああさん
 おこじょの冬毛は雪の白。しっぽのさきだけ、栗音色。おこじょのああさん、しっぽで分かる。真っ白野原に、栗音色。ああさん雪から、やってくる。

 「ああさん」は、 みじか歌の好きな、少し変わった栗おこじょ。凍てつく高山の、厳しい美しさの中で、繰り広げられるあたたかい物語です。

 韻を踏んで、声に出して読むために、つくられた物語です。日本語の美しいリズムを追求する実験でもあります。

                編集長 森谷昭一