今日の詩「三色の春の」2012/03/30

三色の春の丘の声


  丘は三色に染まり、春
  レンギョウ、 緋の桃 、豆桜
  柔和な土の香、里の丘
 
  あなたが笑顔で
  手を振るしぐさ
  まっすぐ私をみつめる眼
 
  花によろび
  花とあそぶあなた
  何もかも今ここにとどまる
 
  こんな近くに丘があり
  こんな近くに花があり
  こんな近くにあなたがいる
 
  幸せ満ちる一度の春
  ふたたび戻らぬ輝きよ
  永遠に花咲く里の丘


    丘をおとづれる恋人達よ
    毎春、われらは美をくりかえす
    あたた達は美に向かい、通り過ぎる
 
  いちどの春を過ぎゆく存在を
  春を繰り返す存在がよびかける
  むせる三色の春のいのち
 
  花は、乙女に言葉を贈る
  毎春ごとに美を得る幸せと
  遠くへ消えぬ寂しさ語り
 
  こんな近くに丘があり
  こんな近くにあなたがいて
  こんな近くに春がとどまる
 
  丘は知る 花は知る
  愛し合うもの達が
  いつか風に、分かれていくことを
 
  だから、消えゆくものへの
  思いを光ににつつみ
  丘は花を風にゆらす
 
  丘を発ち、わきたつ夏にむかい
  異なる街と空を求めて
  旅に出るふたり
 
  強い嵐が二人を引き離し
  春の輝きはもう遠く
  ふたりに、花の言葉は聞こえない
 
   大きな声で呼び合い
   過ぎゆく命の実りを得たら
   旅の末にもう一度訪れなさい
 
   こんな近くに丘があり
   三色の春に輝きがあったことを
   私たちが忘れない

 こんな近くに花があり
 こんな近くに涙して
 こんな遠くに愛があり

      切断面の響き 「水滴集」より



【読み】  香(か) 三色(みいろ) 永遠 (とわ) 
       毎春(まいはる)

【解説 1 】
 
 この詩は、三 という数を基底として構成されています。三色の花 「こんな近くに」と言うリフレインをもった部分。3拍をきざむ形は、日本語ではあまり多くありません。

四行詩が、どこか安定感を持つのに対し、三という繰り返し形式は、どこか遠くに進んでいく流れを生み出します。一時の春の花を通り過ぎ、分かれていく運命にある恋人達を語るのに選ばれた形式なのでしょうか。

 文頭が一文字下がって書かれいる節は、花の言葉です。詩は、花が恋人達にに語る形式をとってます。

レンギョウ、桃、豆桜 が揃って咲いているのは、関東では見慣れた風景です。そんな三色の花が、少し小高い丘の果樹畑を、たなびくように染めるます。身近で、のどかな風景です。

 花の中で、出会い、語り合い、そして見つめる故に分かれていく恋人達。その儚い存在に、花が永遠を語りかけると言う構成で作られています。

「こんな近くに」の部分は、定型詩としてリズムをもって読んでください。情景描写の部分などは、少し破格で語りのリズムで読んでくだい。いずれにしても、声に出して読む事を前提につくられている詩です。
 
【鑑賞 2 】

恋人達が春の花満開の丘を手を握りあい歩きます。それは喜ばしい風景であるとともに、あやうい儚さも感じさせます。

花は彼らを祝福して語りかけます。でも恋する者には、その声は聞こえません。乙女の視線は、まっすく愛する者に向かい、その近しさの喜びに満たされ、そして「こんな近くに・・」と言う言葉を、たたみ込むように繰り返させます。

 「忘れないでいる。」と言うのは、恋する者達どうし、良くささやかれる言葉ですが、その恋人達を、どこかでみつめる、花という存在がどこかにあると詩人は語っているのです。愛の成就には、花と語るやさしさと、永遠と語る強さが必要なのでしょう。

【鑑賞 2 】

 思い出します。春の野で、恋人と、歩いた事を。こんな近しい、こんな満たされているとの思いに溢れていました。そして故郷の春は輝いていました。でも、見つめすぎたのかもしれません。やがて、遠くに憧れ、視線がいつしかずれていきました。

今から思えば、花の声を聞くこともなく、その幸せを感謝することもありませんでした。花の声が聞こえないで、人を愛せる筈もないのに。

 いつしか、どこか私を包み、受け入れてくれる場所を探す旅に、人生が変わりました。沢山の人と出会い、また別れました。でも、あの春の輝きは見つかりません。

そして、春に故郷に戻り、ふと花咲く風景に会いました。花のもとに行ってみました。なにか、あの人にまた会える気がして。春の光が静かに、花に届いていました。けれど、そんな奇跡はあるはずもありません。

 でも、今はこうして、花の声が聞こえるようになりました。木々や、風や、春の光と言葉を交わせるようになりました。永遠に触れた気が少しだけします。今なら、きっと誰かを本当に愛する事が出来る気がします。

【鑑賞 3 】

 花が語ると言う思想はロマン主義の伝統です。花は永遠の象徴であると共に、消えゆく実存の象徴でもあります。永遠なる存在と、消えゆく存在の間での語りあいこそ愛の本質なのだと、この詩人は無意識に語っている気がします。

 人は、遠くへの憧れとともに、近しい愛を失う運命にあるのかも知れません。そして 、遠くへの旅の中で、自分を捜し、再び永遠なるものをみつけていくのでしょう。

そんな伝統的な象徴詩として、受け止めます。

【編集部より】

 初めて読まれる読者に解説させていただきます。「水滴集」は、ミクロコスモスの同人が合作でつくる「秀歌選」「アンソロジー」です。

作者は匿名で参加しますのて、作者を「ミクロコスモス作」として扱っています。俳句、短歌、詩、アフォリズム、きわめて短い小説までが選ばれています。

 同人達は、こんな風に、作品に対して、相互に解説や鑑賞と言う形で向き合います。そして、また、少しずつ修正されながら、より完成されたアンソロジーを作っていきます。

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