理解力のフィルター 限界2012/08/22

馬鹿の壁」と言うあられもない書名の本が養老孟司さんにあった。喧嘩になりそうな言い方なので、自分は「理解力のフィルター」「知的範囲の限界」とか呼んでいる。

養老さんの書物は、自分の理解力の限界を超えたものを、人は馬鹿だと思う・・そんな趣旨だった。知的範囲の限界を超えたものを、人は敵視するか、拒否するか、無視するか、そもそも感じ取る事すら出来ない。そして、理解力の限界はフィルターの網目となって、知識が移動していく事を妨げる。

「理解力の限界」と言う概念を使うと、身近な事を良く理解できる。ちっとも進まない議論、繰り返しばかりの会議、いくら言っても何も出来ない行政、暖簾に腕押しの人物・・・。大きな所では、いじめ、縦割り行政、国際間紛争、差別、魔女狩り・・・理解力の限界・境界付近で様々な事がおきている。

第三者として、かみあわない議論や紛争をみていれば、理解力の限界を冷静に観察もできるが、この限界ばかりは自己認識がきわめて困難なので、個として限界の外に出ることはほぼ不可能だ。

「ちっとも分かってくれないな・・」「こりゃ、駄目だ・・」、「話にならない・・」、そんな言葉で、理解力の限界からは遠ざかるしかないのだろうか。喧嘩にならない範囲で、理解力の限界どうしは、ある程度引き離しておくのも戦略ではある。

「理解力を高めるしかない、それは教育だ。広報だ。」理解力向上戦略の名のもとに、様々な教育・・・学校教育から、種々のキャンペーン、布教、洗脳まで、様々な名の下に知的範囲拡大作戦は繰り広げられる。しかし、これも広い視点でみれば、知識の境界線づくりに荷担してしまう。

理解力を向上させるには・・・知識を増やしても効果はあまりない。知恵とでもいうべき思考方法の構造破壊・脱構築・・でもするとかないのだろう。若い頃にとても難解な哲学書を開いてみたり、現代音楽を無理矢理聞き込んでみたり・・理解できないものに挑戦する時期が誰にもある。そんな時が、限界に挑んでいる時なのだろうか。

年齢・世代、民族・国家、職業・専門、経験・感性、・・・それらは、どんな「壁・限界」によって成立していくのだろう。限界・壁を崩壊させる方法はあるのか・・。

「知識単位学」と言う学問をつくろうと思っている。ライフワークなのかも知れない。知識の限界によって構成される様々な「知識単位」を示していくのは、初めに書いた、様々な社会問題を解決していくために有効だろう・・そんな思いもある。

自分はどんな理解力の限界をもつか、理解力のフィルターで何をこし分けているか。時々反省して見ると良い。FBのコメントなど観察するのも、理解力のフィルターを研究するには、とても良い材料だ。

理解力の限界を少しでも破壊するには、どうしたら良いか・・あまり方策はない。「諦めない事」くらいなのでろうか。

ここまで、読んで頂けた方の理解力に感謝するとともに、さらに高い理解力の持ち主に限界を教えてもらいたいとも思う。

編集長

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