この世で一番大切なものは2009/11/09

  
       今日の言葉      
  
   マリア   この世で一番大切なことは何 ?

   ボギー    この世に一番なんてものは無いって事さ。


             映画  家出人の帰宅  より

  

 あまり解説はいらないでしょう。すべての苦しみと争いは「一番」にこだわる事から始まるのです。これからの世界に、大切な事のひとつだと思います。

この文、自己参照法でつくられています。

編集長

1パーセントの原則、99パーセントの妥協2009/11/09

強固な原則は大切だが、周辺に大量の緩和剤やら接着剤やらクッションや、包装材やらで包み込む必要がある。それが妥協だ。

処世術として誰でも分かっている事だが、問題はその割合だ。その割合で大抵失敗する。どうやら割合は原則が1パーセント、妥協が99の割合に思える。

原則や哲学・思想・・・そんなものを持たないと、方向がゆらゆら揺れて、やることが虫食い状態になる。哲学をもつ事はとても大切なのだ。だが、それは1パーセントで良い。

原則の塊のような人の立派な設計図も世の中に採用されない事が多い。現実との繋がり、人との繋がりが不十分になりがちだからだろう。
 
99の妥協の中にも、また配分がある。50位は、理解に充てる。理解と言うのは、つまり他人を理解する事。つまり良く聞く事だ。人の悩みの大半は、人に理解されない事。不平不満の大半はそれだ。聞き取り能力の塊みたいな人間になる必要がある。徹底的に聞いてから、最後にちょっと自分の原則を披露すれば良い。反論など出る事はない。

残りの49パーセントは何か・・・続きは、そのうち。

編集長

町中の蛍2009/11/11

シリーズ 「詩のような小説」
   町中の蛍


「町中、どこにも蛍がいる方が良い。」

三郎は心の中でつぶやいた。蛍を人工的に増やして沢山の人に来てもらおうという集会で言いたかった言葉だ。でも、彼は言葉を飲み込んだ。

「大きすぎる夢は、人にうらまれる。 大きすぎる夢は、ほっておいても何時か叶う。」

そんな思いからか、自らの夢を語る事は少ない彼だった。集会後、彼はひとり森の川辺を帰った。山中に顧みられず飛ぶ蛍の群れのしずやかさ。

「いつか町が崩壊して野原になる時を待っている蛍なんだろうな。」

蛍にそんな思いをかぶせる三郎だった。

や・ふ

編集長より

「詩のような小説」は、小説をどこまで短くできるかの文学的試みです。詩と小説の違いは長さや形式ではないと思います。小説とは、「ある人生を遠目で俯瞰するもの」との説に賛成します。本日は や・ふ さんの作品からご紹介します。

月下美人2009/11/11

シリーズ 詩のような小説
  月下美人 


月下美人 一分の隙もなき静寂

 鈴子の育てた月下美人。その周囲には一部の隙もない空間がはりつめていた。何もかも完璧でとぎすまされた仕事をした鈴子。それゆえ伴侶をもてず、孤高の女性だった。

そんな彼女も一度恋をした事がある。清冽な心の男性だった。そんな完璧さと清冽さの組合せは神が望まなかったのだろう。運命に流されるように、様々な仕事を経て、精緻きわめる工芸作家となった鈴子。

唯一の楽しみと言えば、花を育てる事。それすら、完璧な仕事だった。

もし、鈴子の人生に隙があるとすれば、死の概念が少しも無かった事だけだろう。

作 無名氏 

■ 編集長より

冒頭の句

月下美人 一分の隙もなき静寂(しじま)

は、阿部みどり女 の秀作。この句に打たれて、無名氏が書いた一文がこの「小説」。人は死をみつめる事により、人生の限界を知り、そしてそれが人への想いや寛容につながる。死の概念をもたず、完璧さだけを追求した人生を、無名氏は描いている。

愛の瞬間2009/11/14

今日の名セリフ

愛が離れる瞬間

  どんな愛も離れていきそうな時がある
  それを取り戻せる時が一回だけある
  その瞬間を感じれば良い
  その時、少しだけ演技力が必要なんだ

    濃村劇団 あずみ村の恋人達より

心変わりって言うんでしょうか。ふとした事、わずかな行き違いで最愛の人が離れそうになる瞬間ってあるものです。

そんな時、それを感じて、引き戻す事により永遠の愛となるそうです。その時には、演技力が必要です。舞台じみたセリフや、大層な贈り物やらが効果を発揮します。映画の名場面って、そういう場面が多いですね。
 そこで、演技力がないと・・・・永遠の別れになります。その瞬間以外で演技力を用いると、馬鹿にみられます。

く/あ